「戦争と日本」について

お盆休みには戦争に関する本やコミックを読み、録画してしいたドキュメンタリー番組を見て過ごした。水木しげるの戦争短編集も通して読んだ。

その中に、「戦争と日本」という作品がある。「笑ってすまされない、近所迷惑への反省」とサブタイトルがついている。

概要は、第二次世界大戦中に日本が経験した悲惨な戦争について、特に日本が中国や朝鮮や東南アジアなど隣接するアジア諸国に対して威張り散らして、支配しようとした行為について、「ゲゲゲの鬼太郎」のキャラクター、ねずみ男砂かけ婆語り部をしている。日本兵が中国や朝鮮の人々を虫けらのように扱って残虐に殺したこと、特に刀の試し斬りにして多くの中国人を殺した自慢が新聞に誇らしげに掲載されていたこと、満州の人を奴隷のように扱って労働させて亡くなると遺体を穴にまとめて捨てたこと、そして南京で20万人以上の人を殺した南京大虐殺シンガポールに侵攻した時には華僑の人々を中心に数万人を殺戮したこと。
さらには自国の兵士も捕虜になるなら死ねという「戦陣訓」によって大勢の人が自決したこと、国際条約を破り他国の捕虜を虐待したこと。
さらに作者自身の南方戦線での苦労、腕を失いマラリアにかかったこと、親切な現地の人々に食べ物をもらい、その人たちとは戦後も交流を続けていること。日本軍にひどいことをされても、彼らは水木さんに親切にしてくれた。
最後のページには、「日本が朝鮮を統治していたころの非人道的な行為、また、中国で行われた一千万人以上の殺りく。そうしたことを正直に反省するのが、世界に通用する日本人というものだ」というセリフが作者自身によって語られている。
このような内容の20数ページの作品なのだが、巻末の初回掲載誌一覧を見て驚いた。この「戦争と日本」は小学館の「小学6年生」に掲載されていたのだ。ちなみに嫌韓記事が話題になっている週刊ポストも、小学館である。1991年2月とあるから、今から28年前である。この頃は、子どもたちにこのように、日本が太平洋戦争時に行ってきた残酷な事実を正確に教えていたのだ。
わたしが子どもの時代はもう少し昔だが、親や先生から戦争のことは教えられて育った。中には隣国のことをひどく言う大人もいたが、わたしが関わった人々は、みな日本の過去のあやまちを語り、祖父母は空襲の話を生々しく教えてくれた。父方も母方もみな、兄弟縁者を南方戦線で亡くしていた。多くの兵士が飢餓に苦しんだあの戦線について、知れば知るほどかわいそうでならなかった。
もちろん南京大虐殺のことは教科書に載っていてテストにも出た。教科書も資料集もそれ以外の残虐行為の事実を掲載していた。
わたしの祖父が経営していた会社に上海支社があった関係で、祖父は上海で暮らしていたこともあるのだが、上海で殺されて倒れている中国の人の写真が祖父の家にあった(このような写真があるのは祖父の家だけではなく、当時中国で生活したことがある人の家には少なくないようで、ドキュメンタリー番組などで似た写真を何度か見たことがある)。
わたしは倒れている人々が遺体と信じられなくて、何度も父母に尋ねたことがある。人を殺した写真が家にあることや、殺された人の写真を撮ったりする人がいたことが、とても怖かった。そしてそれは、上海でも中国人の虐殺は行われていたという事実を証明する。

1991年、平成の時代。
この時代はまだ、子どもたちに、このように虐殺した人々の人数まで教えていたのだ。
今はどうなのだろう。
極端な右翼の人は昔から一定数存在したが、今は、ごく一般の人でも大虐殺の人数は多すぎるとか、ひいては、捏造とまで言う時代になってはいまいか。
過去に教わった虐殺が事実ではないと聞いて、安心する説を信じる人もいるのだろう。それが事実かどうかより、信じたいほうを信じ、解釈をねじまげて拡散する人も増えた。

そんな時代の子どもたちは、あの戦争について、どのように学んでいるのだろうか。

過去の罪はもちろん自分がやったことではないが、自分の先祖が関わっていたことだ。
一部の二世政治家のような人以外は、家族が徴兵されて私の先祖のように南方戦線で亡くなった人の方が多いのではないか。国内で空襲や原爆で亡くなった人も多い。そういう意味では、一般市民は、たしかに、戦争の被害者である。
それでも、自分の国の犯した罪は受け入れ、二度とこのようなことが起きない世界に、そういう未来を子どもたちに託すために、教育をしていたのである。
それは自虐ではなく、反省して、前に進むことだ。ドイツはそうして、ナチスの悪逆行為の責任を取り続けてきた。

この国は、いつしかそれをしなくなってしまったのだ。
今の子どもたちは、隣国にひどいことをされたと習っているのだろうか。隣国は大した被害を受けていないのに賠償だの大騒ぎをしていると、習っているのだろうか。大虐殺などなかったと、本当に教科書に書いてあるのだろうか。
また、私よりも少し年下の人たちも、教科書に書いてあることは嘘だったと、本当に信じているのだろうか。
インターネット、特にツイッターを見ていると、そんな暗い気持ちになる。

そのような人たちとどのように接してよいのか、正直なところ、わからなくて口をつぐむことしかできない。
あまりにもばかげていることに対しては反射的に反論することもできるだろうが、滔々と、私が教わって学んできた事実と真逆の論を述べる人に対しては、なんと返していいのかわからなくなるのだ。どの時点から、その人の物の見方の軸が狂ってきたのか、見極めないと反論はできない。
それでも、いつか言葉にして返さなければなるまい。そのために、あらためて過去の戦争について学び考えなおしている。自分の言葉として語ることができるように。