The Mule

クリント・イーストウッドの監督・主演作品である。監督作品は短いスパンで公開が続いているが、主演は2008年の「グラン・トリノ」以来である。「グラン・トリノ」では老境にありながらも若いギャングたちに挑んでいたが、今作は自らに戦いのシーンはなく、同年代の老人役を飄々と演じていた。クリントの愛くるしさだけでも十分に見ごたえがあるが、当然それだけの魅力にとどまらず、ストーリーもすばらしく、特に家族の愛情が深く描かれ、関係する人々への優しさやいたわりに満ちて愛にあふれる作品であった。特に妻の死を看取るシーンは圧巻で、妻のメアリー役のダイアン・ウィーストの演技力も相まって、二人の思いが蘇り、正しくは蘇るのではなく潜んでいたというべきだろうか…、かつては憎しみが勝ったその愛情が返り咲いて昇華する悲しくも美しい死の際の場面に涙を禁じえなかった。
2018年にクリントの内縁の妻だったこともあるソンドラ・ロックが癌で亡くなったが、その影響もあるかもしれないと思った。

以下に概要を記す。ネタバレを含むので注意していただきたい。4月に劇場で鑑賞した際の記憶をもとに書いたので、記憶が薄れかけている点もお許しいただけると幸い。大きなミスはしていないと思う(おそらく)。


朝鮮戦争の退役軍人で、90歳のアール・ストーンが主人公である。彼は一日だけ花を咲かせる「デイ・リリー」というユリを育て、ひと財産を築いた。だが栽培に熱中して家族を顧みなかったことが原因で離婚に至っている。その世界ではスターだったが、インターネット販売に後れをとって衰退し、農場を差し押さえられた。行くところがなくなったアールは唯一の財産であるピックアップトラックを運転して、別れた妻メアリー(ダイアン・ウィースト)と娘アイリス(実の娘のアリソン・イーストウッド)の元を訪ねると、孫娘ジニー(タイッサ・ファーミガ)の結婚パーティが開かれていた。妻と娘とは仲が悪いが、孫娘はおじいちゃんを慕っている。孫娘はパーティに来てくれたことを喜ぶが、行くところがなくなったことを妻に見抜かれ、昔のことを持ち出して客の前で罵られる。いたたまれなくなったアールは行くあてもなく旅立とうとするが、パーティの客のメキシコ系の男に、ある仕事を紹介される。
それが、麻薬の「運び屋」だった。
スタート地点はごく普通の自動車整備工場で、店の荒くれ男たちに乱暴に命令されて、アールは指定された場所に荷物を運んで多額の収入を得る。道中あやしまれることもなく、すんなりと成功した。その収入を家族のために使い、次は農園を取り戻すため、その次は仲間の退役軍人クラブの再建のためと次から次へと金が必要になり、新しいトラックを買って仕事を続ける。アールは指定された場所にまっすぐには行かず、気まぐれに寄り道をするため見張りの男たちをイラつかせるが、彼らのボスのラトン(アンディ・ガルシア)は、そういう気ままさが怪しまれないのだからと赦し、アールを気に入る。さすがのアールも続けているうちに荷物が麻薬であることに気づくが、それでも収入の良さにやめることができない。工場の男たちは彼を「タタ(爺ちゃん)」と親し気に呼び、アールも彼らの家族を気遣うなど、彼らとの間に絆が生まれていく。人を気遣って声をかけながら、カーステレオに合わせて猥歌を歌いながら、いつも陽気に旅をしている。厳しい顔をした見張りの強面男たちも、そんなタタにいつしか惹かれ、信頼関係を築いていく。
ピンチを切り抜ける様子がとても良い。年の功による知恵や、都合が悪い時のボケたふりや、生まれ持つ気品や愛嬌、そして軍人あがりの度胸。内心では焦っていても、そんな様子はみじんも見せずに飄々と危機を乗り越えていく。失敗しても憎まれない。アフリカ系の女性に差別的俗称で呼びかけてしまったが(悪気ではない)、「おじいちゃん、今はそんなふうに言わないのよ」と、優しく諭されて許される。アールもまた自分の間違いを認めて謝罪し、柔軟に周囲にあわせていく。家族に見放された彼は、運び屋として受け入れてくれたマフィアを新しいファミリーとして、その一員として生きることにしたのだろうか。危険な仕事と気づいても流れに逆らわず、どんな仕事でも楽しんで生きる覚悟を決めたようだ。
「タタ」と呼ばれる凄腕の運び屋の情報をつかんだ警察が捜査を始めたが、気まぐれに行動するアールを捕まえることはできない。ちなみにアールを追うベイツ捜査官を演じるのは、クリントの監督作品「アメリカン・スナイパー」で主人公のクリス・カイルを演じたブラッドリー・クーパーである。
大口の仕事を成功させた礼に、ボスのラトンはアールをメキシコの豪邸に招待して丁重にもてなす。プールサイドで開かれるラテン系のノリのパーティで、アールは美女たちとたわむれる。アールをもてなすように命じられた美女たちは、彼をベッドルームにいざなう。「いやあ、困ったね、はっはっ」と、両手に花のおじいちゃんは上機嫌だ。美女たちとのお楽しみの後には監視役のフリオ(イグナシオ・セリッチオ)と語り合い、交流を深める。
パーティの後、アールはアメリカに戻って再び運び屋家業を続けるが、内部抗争が起きてラトンは部下に殺される。新しいボスは非情で、アールと信頼関係ができたラトンの部下たちも殺されてしまう。フリオの死体を見て悲しむアールは、今までのように気ままに運ぶのは許さないと脅され、神妙な表情で大口の仕事を開始する。だがその途中、メアリーが癌であり、先が長くないことを孫娘からの電話で知る。戻ってほしいと言う孫に大事な仕事だから抜けられないと、いったんは断るが、進行方向を変えてメアリーのもとに向かった。心をこめて看病をするアールにメアリーは過去のことを赦し、死ぬまでの短い間、二人は再び心を通わせる。父の様子に娘も赦し、親子も和解をする。
夫を憎んでいたメアリーは、本当は激しく夫を愛してもいた。メアリーを演じるダイアン・ウィーストの演技がすばらしかった。夫を愛していたからこその憎しみの複雑な感情と、死を前にして衰弱しながらも心が満たされている、穏やかな死に面したメアリーが圧巻だった。
人徳者であり、夫が家庭を顧みなくても立派に娘を育て、教区の人々にも慕われていたメアリー。その葬儀を見届けたアールは、ふたたび運び屋の仕事に戻る。途中で抜けたことが許されるはずはなく、監視役に殴られる。アールは死を覚悟していた。本当のファミリーに戻り受け入れてもらった彼にとって、死は恐れるに足らない。思い残すことはないのだから。だが、妻の死を見届けたことを聞いた監視役の男たちは彼を殴る手をゆるめ、ボスにとりなし、再び運び屋の仕事の続きに入ることが許される。
一方の捜査官のベイツは、アールと同じモーテルに泊まった別の男を間違えて捕まえる。その男も麻薬を所持していたが大した量ではなかった。彼らが自分を探していることに気づいたアールは、とぼけながら彼らと会話をかわす。ベイツは彼が運び屋とは気づかない。偶然にダイナーで会い、食事をしながら二人は話す。恋人との関係で悩むベイツに、自分は妻をなくしたばかりであり、愛する人を待たせてはいけないと助言する。ベイツはその助言をかみしめる。
この後、ついに、アールはベイツに捕まってしまう。最後の最後まで彼の正体はばれることがなく、車を包囲されて出てきたアールに、まさかあなただったとは、と、ベイツは驚きつつも納得したような表情に見えた。
年齢が年齢だけに罰を逃れることもできたのだが、アールは弁護人のアドバイスを受け入れずに、刑務所で罪を償うことを望んだ。彼がなんのためにそんな仕事をしていたか理解した娘は、父親を責めることはなかった。
ラストは、刑務所で花を育てるアールの姿と、彼を手伝う囚人たちの姿で終わる。刑務所がとても暖かく、花の色が美しい遠景がスクリーンに映し出された。



犯罪を描いた作品であり、殺人シーンもあるにもかかわらず、クリントのコミカルな演技が微笑ましく、ハートウォーミングな作品だった。
作品のテーマは愛であり、家族の大切さであるだろうが、それだけではなく、引き返すことの大切さ、ということを想った。
人は失敗を繰り返しても引き返せないし今の人生を歩むしかない。多くの人はそんなふうに諦めているだろう。
しかし90歳になっても、失敗し、後悔したことをやり直すことができるのだ。
そして、これは、何歳になってもなんでもできるということではないかと、鑑賞後、そんな希望も抱いたのである。
世間の人は老人をなめている。アールが道中で出会った警官や捜査官が老人だからと油断して見逃したように。でも、実際は若者よりも知恵も度胸もある。むしろこの世には年をとらないとわからないこと、できないことのほうが多いのではないか。周囲が老人だからと油断しているうちに、長年の間に培った知恵と度胸で切り抜けられるのだ。しかも、失って惜しいものもないのだから。これほどに強い存在はない。

そう、我らがクリント・イーストウッドは、銃をぶっ放さなくても最強なのである。