CROSSFIRE HURRICAINE

ローリング・ストーンズ結成50周年に作られたドキュメンタリー作品である。
ストーンズは結成以来、いくつもの危機的状況を乗り越えて、2012年の当作品の作成時にも活動を続けていた。そして2019年の現在も北米ツアーの真っ最中である。そんな、老いとは無縁のロックンロールの神、ローリング・ストーンズの物語を、メンバーの肉声、ドキュメンタリー映像、ライブ映像をバランスよく織り交ぜて、時系列に沿うエキサイティングな構成で描いている。
ブライアン・ジョーンズの死、オルタモントの悲劇、南仏への移住、ミック・テイラーの脱退、キースの逮捕…など、波乱に満ちたバンドの節目に、当時のインタビューと、2012年現在のインタビューを取り混ぜている。脱退したビル・ワイマンやミック・テイラーの現在の肉声もあり、ファンにとって喜ばしい限りだ。中でも、理性的に自身が置かれていた状況を分析するミック・ジャガーの対話は思慮深く、強い印象を与える。
以下に、概要と感想を記す。個人ブログの性質上、作品を追いながら補足や感想などを加えているので叙述の内容が全て作品にあるものでは無い。

1962年にデビューしたストーンズの人気は想像していたものよりもすさまじく、ものすごい数の女の子がライブに殺到するドキュメンタリー映像に圧倒された。ティーンの女の子たちが叫ぶ声で演奏が聴こえない。音楽を聴くことより、叫ぶことでストーンズへの愛を表現し、声の大きさで愛を競っているのか。ストーンズのメンバーはあまりの人気に戸惑っているように見えた。
何人もの少女が失神して会場から運び出される。失禁した女の子たちの尿が床を流れていく(ビル・ワイマンの証言)。ステージの彼らを至近距離で撮影した映像では、客席の最前列は、今にもステージに上ってきそうに舞台にすがりつく少女たちが並んでいる。そして一人がステージに上ると次々と続き、ステージに上りメンバーに抱き着き、次々と引きはがされて追い返されていく。抱き着くほうも引きはがすほうも乱暴で、人に対する行為じゃない。クレイジーだ。
入り待ち出待ちをして追いかける少女たちも、ものすごい人数だ。駅でファンに囲まれたメンバーはプラットフォームから線路を駆け抜けて、道路で待機しているハイヤーに乗って逃げて行った。ドタバタコメディのようなシーンだが演出ではなく現実の映像なのだ。まさかストーンズがこんなに熱狂的に追いかけられていたとは、逸話として知っていても映像で見ると度肝を抜かれる。彼らはアイドルだったのだ。
ポップスというよりブルースに寄ったストーンズの音楽は、若い女の子が熱狂的に楽しむには渋いように思うが、女の子たちは音楽そのものよりも、不良少年の象徴であるストーンズを求めていた。ビートルズと結婚させてもストーンズとはさせないと、当時の大人たちは揶揄した。実際は、ビートルズストーンズと同じような不良だったとは思うが、あくまでもイメージである。ストーンズは社会に嫌われていたのだ。そこがまた若者に受け入れられる所以である。女の子はカッコいい不良が好きで男の子は反逆者にあこがれる。
そのイメージはストーンズサイドにとっても不本意ではなく、ストーンズを売り出す戦略として利用した。戦略は成功してストーンズは不良、ひいては悪魔のイメージを植え付けられて、メンバーも望まれるとおりにふるまった、特にブライアンとキースがドラッグに絡み取れられた。
初期のブライアンがインタビューに答える姿はリーダーらしく知的で、スーツを着こなした姿は凛々しい。ブライアンの演奏技術は高かった。エレキでスライドを弾けるのは彼だけだった。しかし、あの状況で正気を保っているのは難しいのか、ブライアンはドラッグにおぼれていく。ドラッグを続けても曲を作り続け、演奏を続けていたキースとは違い、ブライアンは楽器を弾くのもままならない状態が続いた。
オリジナル曲がなかったストーンズだが、ミックとキースが曲を作り始める。「グリマートゥインズ」の始まりである。二人が作曲をする映像がある。窓際で、キースのギターにあわせて、ミックが歌詞を口ずさむ。ブライアンはここにはいない。この作品では触れていないが、マネージャーのアンドリュー・オールダムがブライアンを排除してミックをリーダーにしようと働きかけていた。

人気はアメリカにも広がっていた。ストーンズのメンバーは軍用ヘリで、押し寄せるファンから守られるように移動した。イギリスと同じように、熱狂した女の子たちの波が会場に雪崩れ込む。ステージに上ってミックに抱き着くファンもいた、彼らはミックをむさぼっているようだと、インタビュアーが語った。
そのようにイギリスでは女の子たちが熱狂的に彼らを追い回したのに反して、ヨーロッパの他国では、若い男たちがストーンズに熱狂した。ライブのステージの前でいきりたち、入り待ち出待ちをする彼らを止める警官たちに、その暴力が向かった。そういう時代だったと、ミックが振り返る。「暴動と同じだ。きっかけはサッカーでもよかったのさ」。若者の内側から沸き起こる力が暴力となって、警官に、権力に向かった。そのエネルギーを受けて、ストーンズは「Street fighting man」や「悪魔を憐れむ歌(Sympathy for the Devil)」のような、暴力や悪魔的な力の曲を書いたのだろうか。しかし彼らの曲は、若者への共感を歌ってはいない。「Street fighting man」は、決して暴力をあおっていない。暴力に変えてロックを歌う。「悪魔を憐れむ歌」は自らを悪魔と名乗る演劇的な楽しさの、諧謔的で遊び心に満ちた曲である。自らを悪魔と自己紹介するミックは、彼らをおそれる大人たちをからかっているようだ。グリマートゥィンズのソングライティング能力は著しく成長していた。ストーンズの音楽は今までにない音楽だ。ただのロックではない。彼らにしかできない音楽へと進化していった。

1969年に、ブライアンが脱退する。1969年に発売されたアルバム「Let It Bleed」のレコーディングには、ミック・テイラーが参加している。収録されている「Midnight Rambler」には手ごたえを感じたと、ミックは言う。この曲は「ブルースのオペラ」であると。ライブごとのアレンジが魅力的な曲で、時に10分以上になる曲だが、メンバーの個性が際立つ。
ミック・テイラーが加入後のツインギターはオーケストラであり、テイラーは名手だったとキースは振り返る。このスタイルは、その後のストーンズの布石となった。
そして1969年7月3日、ブライアン・ジョーンズは自宅のプールで溺死した。すでに新しい活動の目途がついて、再出発前の悲劇だった。ブライアンの死によって、ストーンズに、さらに悪いイメージが上塗りされたようだ。暴力、悪魔、ドラッグ、そして死-ストーンズのメンバーは呪われているように。ブライアンの死後にハイドパークで開催された追悼コンサートは、暗いムードが漂っている。これからのストーンズに起きる悲劇の兆しのように。

それはテイラー加入後のアメリカツアーの最終日、1969年12月6日。オルタモントでのフリーコンサートで、殺人事件が起きた。のちに「オルタモントの悲劇」と称される。ガードマンとして雇われていたヘルス・エンジェルスは血と暴力の象徴であり、当時のストーンズが戦略的に取り入れてきたものを具現化した存在ではなかったか。ライブに興奮した人々を、ヘルス・エンジェルズが過剰な暴力でおさえつけたことによる悲劇。ストーンズがまとってきた血と暴力の戦略がまねいた悲劇である。現在の健全なストーンズからは想像しにくい出来事であるが、当時のストーンズの環境においては、起きるべくして起きた事件として社会に認識されたのだろう。ライブの演者はストーンズだけではなかったのだが、ストーンズの演奏時に事件が起きたこともあって、ストーンズにも責任があるかのように伝えられている。
「とてもこわかった」とミックは、事件を振り返る。「おれが落ち着かせると、演奏を止めた」当時のステージで観客に「喧嘩をやめろ」と呼びかけた映像がある。「自分たちもステージ上で無防備にさらされて怖かった」とミックは語った。それでも客に落ち着くように呼びかけたが、事件は起きてしまった。彼らはヘリでオルタモントをあとにした。

1971年に「Sticky Fingers」がリリースされる。キャッチーなリフで始まる一曲目の「Brown Sugar」が軽快だ。収録曲の「Can’t you hear me knocking」はミック・テイラーが参加する後半のセッションがグルーヴィーで、テイラーの真骨頂だろう。2014年の日本公演では、テイラーが参加したこの曲が披露された。
やがて、バカ高い税金から逃れるために彼らは南仏に移住する。ここで、キースたちは一日中ドラッグをやりながら曲を作り続けた。「ドラキュラタイム」で生活していたとキースは振り返る。そうしてできたのが「Exile on main st.」だ。
Exile on main st.」は、ストーンズの将来を大きく変えた作品だ。ドラッグにまみれながら作ったと、キースが語る。そんなドラッグまみれのキースに愛想をつかしかけていたミックがキース達の作ったデモを聴いて、もう一度ストーンズの可能性にかけた。ものすごいアルバムである。クレイジーなのに抒情的で、どの曲もストーンズ色に満ちている。あらためて聴くと曲の多様さ、複雑さにおどろかされる。ストーンズのルーツであるブルース、ロバートジョンソンのカバー、シンプルなロックンロール、ロックオペラのような曲、ゴスペル…。それは過去から未来へ向かう通過点として、いまここにいるストーンズのすべてを出しつくし、これからもストーンズが存在するために必要なアルバムであった。2枚組の作品だが、当時のロックアルバムはたいていが一枚40分程度だった。絞ったうえでのこのボリューム、厳選された作品だ。このときに収録されなかったテイクは2010年代に発売されたデラックスエディションに収録されていたが、どの曲もかなりレベルが高い。

この後、「Goats head soup」「It’s only Rock’n roll」のアルバムに参加したのち、ミック・テイラーは脱退する。
脱退について、テイラー自身が「ドラッグをやめたかった」「家族をドラッグから守りたかった」と語っている。彼がいた時期はもっともストーンズがドラッグに満ちていた時期だったのではないだろうか。そんな彼らと別れる決意をしたテイラーは、人としてはまっとうな感覚だ。
バンドのバランスが良くなってきたから、テイラーの脱退は衝撃的だったとミックは語る。
テイラーが脱退すると、すぐにロニーが加入する。テイラーが辞めると言った場面にロニーがいて、「困ったな、それなら君が入るか」とミックに言われてすぐに受けたと、ロニーがインタビューで答えている。
ロニーはグリマートゥインズの懸け橋になった。ロニーが入ったことで、バンドメンバーの関係性が良くなり、音楽性も変わったとミックは言う。音楽を楽しむ方向にプロデュースするようになった。

だが、ふたたび忌まわしい事件が起こる。1977年、キースがカナダに大量のヘロインを持ち込んで逮捕された(この事件は当時のカナダ首相夫人とのスキャンダルとも関係しているのだが、この作品では語られていない)。自身の逮捕がバンドに危機をもたらしたことに気づいたキースは、ドラッグ依存症の治療を受ける。結果、キースは明日にも死にそうなミュージシャンから、世界でもっともタフなギタリストに変わった。
そして、ストーンズは復活した。
「波に乗ってると感じた。でも、若さは永遠じゃない」
この作品の最後のミックの言葉だ。
この世に、永遠のものなどはない。それでもストーンズは永遠に生き続けるようではないか。
そして、2009年当時のライブ映像で作品は終わる。




きれいにつくられすぎていて、幾つかのスキャンダルやその後も何度もおとずれた解散の危機に触れていないなど、メンバーへの忖度を感じるが、それらをさしひいても見ごたえがある作品だ。ストーンズのメンバーが苦しみを超えて、楽しんでロックを演じられるようになるまでの過程であり、それはダーティで嫌われていたバンドが、世界で最も愛されるバンドにかわる過程でもあった。70代になった彼らが今なお活動し、大掛かりなツアーも続けていることを、1970年代に彼らを観ていた人々は思いもよらなかったろう。
ファンは常に熱狂的に彼らを追いかけてきた。極東に住む私は追っかけや失神はしなかったものの、10代半ばから熱心に曲を聴いて、彼らを知りたくて書籍を買い求めた。私が知った頃のストーンズはすでにロニーが加わり、ドラッグまみれの鼻つまみ者から、ロックンロールのアイコンへと飛躍していた。あまりにもドラッグがすさまじい過去を知って引いたこともあったが、すべては乗り越えたのだと、彼らを嫌うことはなかった。彼らの曲とパフォーマンスは既に私の血肉であった。現メンバーのミック、キース、チャーリー、ロニーはもちろん、ブライアン・ジョーンズも、ビル・ワイマンも、ミック・テイラーも、イアン・スチュワートも、ボビー・キーズも…すべてストーンズの魂の源である。ブルースが好きになったのはストーンズの影響だ。そしてビートルズも、ストーンズと交流がなかったら今のように聴かなかったと思う。ボブ・ディランも、デヴィッド・ボウイも、プリンスも、ストーンズを通して知った。

はじめてストーンズを知って夢中になったあの日、偶然FMから聴こえてきたJJF、ベースで始まるイントロ、ミックのシャウト、続くギターリフとミックの歌声「I was born in a cross-fire hurricane …」、興奮した、こんな音楽は聴いたことがなかった。この世の中には、こんなにカッコいい曲があるのか。次から次へと流れてくる曲のどれもがみな初めて聞く曲で、頭のてっぺんからつま先まで電流が走った。「ローリング・ストーンズ」そのバント名もむちゃくちゃかっこいい。
次の日、学校帰りに洋楽雑誌を買って彼らの姿を見て、そのファッションやルックスにもほれ込んだ。
情報が増えるごとに愛情も増していった。新譜が出る、ライブアルバムが出る、そして1990年の日本公演、東京ドームを皮切りに国内に限るが追い続けた。キースサイドの13列目から見た光景、ブリッジトゥバビロンツアー、ヒョウ柄のロングコートで登場したキース、センターステージに向かうメンバー、客先ににこやかに手を振るキース、チャーリー、ロニー、ミックは投げキッスまで…。
こんなことが、信じられるか。あのストーンズ、世界一好きで神の存在でとても手に届かない彼らがこんなに間近に…。
涙が止まらなかった。
あのティーンエイジャーの女の子たちの熱狂を笑えない。あの時代のロンドンに生まれていれば私はあの会場にいただろう、失神して運びだされていたかもしれない。
いつの時代でも、ファンが彼らを愛する気持ちは変わりない。

あの頃の自分に、彼らがいまだに現役であることや、日本に何回も来たこと(そして間近でステージを観られたこと)を教えてあげたい。こんなにすごいミュージシャンを、私はずっと愛し続けているのだ。