Yesterday


音楽映画は曲が良ければ、たいていの作品は面白く観られる。これもその手の作品だろうけど、ビートルズの曲を劇場で聴ければいいや…、なんて気持ちで鑑賞したのだが、それが、予想以上に面白かった。
全編を通してビートルズへの愛に満ちていた。監督、脚本など、作品に携わった人たちのビートルズへの愛を感じた。
以下、あらすじ含む感想を記す。ネタバレ注意。


主人公のジャック・マリクは売れないミュージシャン。教師の資格を持っているが、スーパーでバイトをしながらギターの弾き語りを続けている。彼にはマネージャーがいる。幼馴染で教師をしているエリーだ。彼女はジャックの才能を信じていて、彼をとても愛している(けど、ジャックはその愛に気づいてない)。彼が音楽をやめると言ってエリーとケンカをした後、ほんの一瞬、地球に異変が起きて、パラレルワールドに入って別な地球になってしまう。見た目は変わらないのに、どこかが違う世界である。ジャックはその瞬間に事故に遭って意識を失っていたせいか、パラドクスの影響を受けず、元の世界の記憶が残っている。
見た目が変わらないので別世界であることがわかりにくいが、ビートルズの歌詞を引用しても、エリーも、友人たちも気づかない。ジャックがビートルズの「イエスタディ」を歌うと、なんていい曲かと友人たちは絶賛する。「ぼくをからかっているのか。これはビートルズの曲だろう」とジャックは怒るが、誰もビートルズを知らない。奇妙に思ったジャックが家に帰ってパソコンでビートルズを検索すると、車のビートルやかぶと虫しか出てこない。もしかしてビートルズがない世界なのかと、他にいくつかの単語を検索する。ローリングストーンズは存在するが、オアシスはいない。自分のレコードコレクションにも、デビッドボウイのレコードはあってもビートルズはない。他にこの世界はコカ・コーラや、ハリーポッターなど、存在しないものがある。
ビートルズがいないことに気づいたジャックは、ビートルズの曲と詩を思い出そうとする。タイトルを思い出した曲を付箋に書いて壁に貼り、曲と詩を思い出した曲を剥がしていく。エリナー・リグビーの結婚式の続きが、なかなか思い出せない。
思い出したビートルズの曲をクラブで歌っているうちに、ジャックは少しずつ注目されるようになる。CDを作ろうと持ち掛けた青年ギャビンと、エリーの三人にで、ギャビンの家で宅録する。このシーンがとても楽しい。
その自主制作CDをスーパーのお客さんに配ると、地元で有名になって、ローカル番組のゲストに呼ばれるようになった。
ある日、ジャックの曲を聴いたエド・シーラン(本人出演)が家に訪れてライブの前座に誘う。モスクワのライブで、エリーは学校があるから同行できない。代わりに、何度もバンドの付き人をクビになっているダメな友人ロッキーが同行することになる。
モスクワで「バックインザUSSR」を歌って盛り上がり、ジャックは大人気。エド・シーランのマネージャーにスカウトされて、大掛かりにメジャーデビューすることになった。
…こんな流れで物語は進む。
ジャックは、ビートルズの曲を愛するがゆえにビートルズを歌い、それで有名になってしまった。初めは、これをきっかけに売れれば自分の歌も歌えるようになる、程度の考えだったのかもしれないが、思った以上の反応に、後ろめたさを感じていく。彼自身が作った曲を歌ってもエド・シーランのマネージャーは歯牙にかけない。有名になって自由がなくなり、エリーへの愛に気づいても、そばにいることはできず、ギャビンに取られてしまう。地元のホテルの屋上でデビューライブを行う。そこで歌った「HELP!」は、彼の心の叫びだった。カバーに演奏者の魂が宿るのはこんな瞬間なのだろう。
彼の演奏を聴いて、ビートルズを覚えている男女が訪れた。捕まると恐れていたジャックに彼らは「ビートルズの素晴らしさをこの世界の人々に伝えてくれてありがとう」と、感謝の意を伝えた。彼らはさらに「ビートルズのいない世界は寂しかった。どうか、彼らの歌を良いことに使って」と言った。
彼らが調べた住所をジャックは尋ねる。そこには、元の世界にはいないはずの、年老いたジョン・レノンがいた。古い一軒家に住んで漁師をしているジョンは、主人公の問いに「よい人生だった」と答えた。そして、困難な恋をして結ばれて、幸せだったと(元の世界でも困難な恋をして結ばれたのは周知のとおり)。感激したジャックは別れ際にジョンにハグしてもらう。自分と会っただけで喜ぶ理由がわからないジョンは、困惑しながらも彼の好意を受ける。このシーンは観ている私も号泣だった。ジョンがスクリーンに登場しただけで(役者さんもとても良く似ていた)身体が震えた。
ビートルズがいないから、ジョンは有名人ではなくて、年をとって、ここにいる。
良い人生とは何か。有名人になることではない。
ジョンと会ってそれを確信したジャックは、ある決意を固めて、そして感動のエンディングに向かう。
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とても素敵なエンディングだった。
いつか元の世界に戻るのだろう、どうやって戻るのだろうかと思いながら見ていたが、戻ることはなかった。パラレルワールド物で、元の世界に戻らなくて、それでも良いエンディングである作品は珍しいのではないか。

登場人物も魅力的だった。主人公のジャックのイモっぽさの残るたたずまいに好感を抱いたし、巻き込まれて戸惑う感じが似合っていた。また、歌のうまさも程よくて、それも作品の温かさに貢献したのではないか。
エド・シーランのポーカーフェイスぶりもよい。ジャックが歌う「ヘイ・ジュード」について、真剣に「「ヘイ・デュード(相棒)」がよい」とアドバイスをする。元の世界のエドが知ったら電柱に頭を打ち付けて悔やみそうな失策で、可笑しかった。
そしてジャックを一途に愛し続けたエリーの愛らしさ。エリーの気持ちになぜ気づかないのか、なぜ追わないのか…、とジャックに対してイライラしながら鑑賞した。
最初にジャックの歌の素晴らしさに気づいてCDを作ってくれたギャビンはエリーを愛したが、それでも元の鞘に戻ってしまった。そんなかわいそうなギャビンは、いかにも英国の音楽オタクな好青年だった。
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ビートルズが好きだから歌いたい。元の世界なら単なるカバーだ。でもビートルズを知らない世界では、自分の作品として高く評価されてしまう。ジャックはそのことで苦しむ。
―違う、これはぼくの曲じゃない。
―でも、ぼくの曲はつまらない。
真摯に音楽を創り続けた人ならではの迷いや悲しみがある。
音楽以外の創作でも同じような状況におかれれば、似た苦しみを味わうだろう。
コピペやパクリを平然と行う人たちにはわからない苦悩だ。