遠い銀河の物語

スター・ウォーズの劇場公開シリーズを、少しずつ鑑賞した。
製作順に、エピソード4、5、6、1、2、3、「ローグ・ワン」、「ハン・ソロ」の順で見た。
続編二作は新作を観る前に見直しておこうと思う。

ハン・ソロ」以外の作品はすべて上映時に映画館で鑑賞した。特にエピソード4~6はリバイバル上映なども含めて数回見ている。スター・ウォーズ三部作として、思い入れがある作品である。エピソード1~3を否定しているわけではない。ダース・ベイダーの過去は興味深く、特に上映当時は新しいCG効果もあって迫力が増し大変楽しんで鑑賞したのだが、あらためて見ると不満もある。
うっとうしい思い入れをなるべく減らして、久々に見た感想を、ざっくりと記していこうと思う。どうしてもネタバレを避けられないので、ご注意ください。

スター・ウォーズ
スター・ウォーズ「帝国の逆襲」
スター・ウォーズジェダイの帰還」
のちにエピソード4~6と命名された作品。安定した名作シリーズである。

スター・ウォーズ」(1977年公開)
一作目はまだ続編の予定がなかったのか、重い因縁もなく、爽快なスペースオペラとして気持ちよく鑑賞することができた。ルークの成長譚としても物語にすんなりと入り込めたし、ジェダイやフォースという概念がとても面白かった。ダース・ベイダーのキャラクターも、根源的なものをくつがえす精神的な悪ではなく、強くてカッコいい敵役然としてよかった。むしろモフ・ターキンのナチス将校めいた冷たさが怖かった。
可憐で活発なレイア姫、不良なハン・ソロ、そして愛すべきドロイドたち…。キャラクターの楽しさコミカルさ。名作だ。(しかしエビソード1-3のためにセリフや構成に改変があって、記憶との相違にしばしば苛立つ)

「帝国の逆襲」(1980年公開)
公開当時に見たときはどちらかというと苦手で(漂う暗い雰囲気が…あと、親子設定を受け入れがたかった)、前後二作品ほどは回数を見ていないのだが、久しぶりに見ると物語の転換としては一作目より重要な作品で、ここからのちのシリーズを展開する作品として、礎としての完成度の高さを感じた。ルークとレイアの出自、ヨーダの登場と、この後何十年と続くシリーズの布石がある。
この作品から複数の戦いを、同じ時間軸の戦いを並行して見せる構成が目立つ。ルークとレイアがジェダイの血を引く兄弟、ダース・ベイダーの子どもたちであり、その子供たちがそれぞれ辿る道を描くためだろう。ルークとレイア、主人公が二人であることがここではっきりしたからだ。ルークは孤高のジェダイの道を、レイアはハン・ソロとの愛を、それぞれの別れと生き方を示すための。それはのちの作品でも同時間軸の複数の戦いを見せる方式として、主人公だけではない戦い、それぞれ重要である登場人物たちの戦い方、生き方を見せる構成として活かされて、それが、シリーズが長く続く一因でもあるのではないか。さまざまな人々の戦いと役割があり、それがスター・ウォーズの世界を構成しているのだ。
ハン・ソロの好漢ぶりもあますところなく描かれている。ルークを探す吹雪のシーン、そして身を挺してレイアを守り、そのために氷漬けにされるシーン…。「I love you」「I know」。これほどシンプルな愛の名言を知らない。初めて聞いた時はかっこよくて死ぬかと思った。

ジェダイの復讐」(1983年公開)
初見でジャバ・ザ・ハットの妖怪ぶりに動揺した作品だった。オープニングからあんなお化けと戦うのか…、と戸惑ったが、見ているうちに引き込まれてしまった。ジャバ・ザ・ハットの屋敷に乗り込んだルークを見て、成長した姿に目頭が熱くなった思い出がある。ボバ・フェットの死に方は哀れだが、この頃はまだ後のシリーズの構想もなかっただろうからハン・ソロの宿敵として、あんな死に方になったのだろうか。
最後の戦いの展開はテンポよく進み、イウォークの愛らしさ、ルークとベイダー卿の和解…、ルークの、ジェダイとしての甘さではあるが人として大切な心が、最終的に宇宙を救う。ラストシーンは、初見時はイウォークの祭りで明るく終わっていたのだが、改訂後はゆかりある地でのフィナーレのシーンが挿入されていて、ラストもイウォークマーチではなく、荘厳な音楽で終わっていた。


エピソード1「ファントム・メナス
エピソード2「クローンの攻撃
エピソード3「シスの復讐

ファントム・メナス」(1999年公開)
新シリーズ三作品の中でもっとも好きな作品。スター・ウォーズの楽しさが満載である。主な舞台がタトゥーインであり、物語の始まりはここからであったと思い起こさせる。アナキンの生意気さが愛らしく、パイロット能力も、ジェダイの資質も、また愛情深さや孤独…、それらのよい気質もダークサイドに落ちやすい性質であることに、見ていて悲しい気持ちになった。パドメとのやりとりは実に微笑ましく、その年の差ゆえに、アナキンが自身の未熟さをあせる気持ちもダークサイドへの呼び水になっていくのかと思うとそれもまた見ていて(以下同)。とにかく、アナキンがダース・ベイダーになることが前提の作品であるから、結末はわかっている。それゆえに明るい場面にも影がよぎるのは仕方がない。
クワイ=ガン・ジンの正当なジェダイ・マスターの風貌はとてもよかった。リーアム・ニーソンのマスター然としたルックスは、彼にオビワンを演じてもらえたら…と、思わざるを得ない(ユアン・マクレガーが20年程度でアレック・ギネスになるのは無理があると思う)。他にはなんといっても、ダース・モールのかっこよさ。CGキャラクターではない正当アクション、演じるレイ・パークは本当にかっこよかった。
居並ぶ個性的なジェダイ・マスターたちは七福神めいていた。ヨーダに加え、サミュエル・L・ジャクソン演じるメイス・ウィンドウの特殊メイクなしのジェダイぶりなど…。旧スター・ウォーズ三部作を踏襲するに十分な魅力のある作品だった。

クローンの攻撃」(2002年公開)
成長したアナキンと、パドメの恋を中心にストーリーは進む。アナキンの成長が微笑ましく、だが恋という執着、また母の死の際にタスケン・レイダー族を皆殺しにするというダークサイドにつながる行為。パドメの「あなたに再会した時から、わたしは少しずつ死んでいた」という台詞は、なんて美しく悲しい響きがするのだろう。二人の恋は悲劇に突き進むしかない展開なのだが、それでも恋する二人はなんと美しいことか。
しかし苦手なシーンも多い作品だ。工場のバトルシーンがアトラクションめいてどうも好きになれない。クローン兵にも疑問が…なぜジャンゴ・フェットなのかとか(身体知力能力が高いのだろうが…)、クローンといえど人間であり、人を大量生産することへの嫌悪感が生じる。彼らが役に立つような描き方も苦手だ。他にも違和感が多い。
そんな細かい違和感がある作品だが、戦うヨーダの姿には興奮した(あくまでも私的に)。軍師ヨーダ、そして剣士ヨーダヨーダ萌え満載の作品だ(あくまでも私的)。
ラストではアナキンとパドメがC-3POR2-D2に見守られて、ひっそりと結婚式を挙げる。困難の始まりの予兆、美しすぎるエンディングである。

シスの復讐」(2005年公開)
パルパティーン(シス)はアナキンの心に生じたダークサイドの芽を少しずつ、巧みに成長させていく。主にアナキンのパドメへの心配…、パドメが出産時に死ぬ悪夢を見て(そしてパドメを励ますオビワンもいた)、パドメを守りたい思いと、オビワンへの疑念が広がる。パルパティーンに気に入られ、彼がシスであるとは知らず接近するアナキン。ジェダイたちの態度から増長する不信。それらもすべてシスの操作であったのだろうが、いかんせん闇落ち早い感が否めない。アナキンがダース・ベイダーになる結末を収束することが中心となり、物語としての面白さがあとまわしになってしまったような、残念さがある。
パドメが悲劇的に美しく、どこまでも美しく描かれていて、それだけにアナキンの執着も理解できるのだが…。
それから、オビワンへの不満がたくさんある。特にアナキンと対戦した後、マグマに落ちて全身に大やけどを負って苦しんでいるアナキンを一瞥して去って行く場面は憤懣やるかたなかった。師匠なら、苦しむ彼にとどめをさして楽にしてあげようと思わなかったのか(ジェダイにとどめをさして楽にするという概念はないのかもしれないけど)…、いや、わかってますよ、アナキンが死んだらダース・ベイダーが誕生しないのは…。でもねえ…。
とにかくこの作品ではオビワンに対して、「なんかいろいろひどい!」と憤慨し続けて観た。
しかしその怒りもラストにはおさまっていた。ルークが引き取られたシーンで、タトゥーインの二つの太陽と流れるルークのテーマで、ここからあの物語が始まるのだという感動で胸がいっぱいになった。
あのラストを観たら、これ以上、批判はできない。終わりよければすべてよし…。
ちょろいファンで申し訳ありません。

「ローグ・ワン」と「ハン・ソロ」の感想は次の更新時に書きます。