いつ頃からか、私のツイッターのタイムラインに一人で行動するたちをディスるツイートと、それへの反論RTが流れてくるようになった。一人で行動する人はナンパ待ちというひどい決めつけや、未婚の人には単独行動が非婚化の原因だとか、既婚の人には結婚しているくせにどうして一人でいるのか、家族を放っておいていいのかとか、難癖コメントまでついていた。テレビの特番など、議論のきっかけとなる出来事があったのだろうか。
流行に疎い私はいつからそんな意見が飛び交っているのかわからぬまま、なんか変な流れ…と思いつつも、しょせんはツイッター、どうせこれもネトウヨ連中の仕業だろうと、深追いするまでもなく読み流した。有識者の反論も、単独行動に軍配が上がっていたし。

だが、ネットではないリアル世界でも同時多発的に単独行動をいじられることが増えて、いささか不穏な空気を感じるようになった。
今までは一人で出かけた話をすると、「変わってるね」と言われるか、妙に同情されて「今度は一緒に行こうよ」などと誘われる、その程度の反応だった。それが、笑われるようになった。しかも、昔の話を蒸し返して笑うような、もってまわった反応をする人が増えた。「あの時、あなた一人でライブ行ったんだよね(くすくす)」「そういえばあなたヒトカラ行くんだったよね(ゲラゲラ)」「よくまあ一人で(体を折りたたんで爆笑)」など。以前は聞き流していた行動を、わざわざ蒸し返して笑う。その魂胆はなんだろう。
面と向かって「人の行動を笑う」ことは、「あなたのしていることは変である、恥ずかしいことである」と強調するマウンティング行為だが、もとは笑うほどでもない行動や容姿などを笑っておとしめる時に使うようだ。例えば「なんでそんなに稼いでるのゲラゲラ」「なんでそんなにきれいな服着てるのゲラゲラ」みたいに、むしろ、自分より相手が優位なことを笑って蔑もうとする。
つまり、彼ら彼女らは私の単独行動に対してわざわざマウンティング行為をしなければ、貶めることができなくなったのである。以前のように「変わってる」「寂しそう」では済まされない、何かに気づいたのである。
なぜ今になって、一人でいることについて難癖をつけはじめたのか。
世間にようやく、一人でいることの効能が、広まりはじめたのかもしれない。
今までは単独行動をする人は寂しい人、友だちがいない人で、「ボッチ」などと呼んで馬鹿にしていたのに、実は一人でいることを楽しんでいるらしいと気づいた人たちが、危機感を抱いたのではないだろうか。
単独行動をすることで、群れていては得られない「特別ないいこと」を味わっているんじゃないか。ずるい…などと思う人が出てきたのかもしれない。

孤独をすすめる本がベストセラーになるなど、一人でいることの効能をうたい、無理に人に合わせて生きることはない、そんな思想が広まり始めている(そもそも単独行動ができる人はそんなことはとっくに知っていた)。誰かと一緒にいることしか考えていなかった人たちにとって、青天の霹靂だろう。思いのほか孤独が自分に合っていると気づいた人たちは、一緒に行動していた仲間から離れて行く。一方で、どうしても一人で行動できない人たちからすれば、一人でも平気な人たちが妬ましいし、今まで仲良く一緒にいた人が離れてしまう寂しさもある。
そんな流れがあるのかもしれない。

私を笑った人たちの言動から、彼らがなぜ単独行動する人を馬鹿にするのかを、考えてみた。
・上に書いたように、一人でいるといいことあるんじゃないか、一人でずるい、という損得勘定とやきもち。
・一人で出かけるなんて水臭いじゃないの、一緒に行きたいと言いたいが、ストレートに言えないタイプ(ある程度親しい人の反応に限る)。
・自分には仲間がいて、仲間で行動することの楽しさを確認するための比較対象として、バカにする。本心では仲間といてもあんまり楽しくないのだが、一人でいるよりはいいわよねえ、と自分自身を暗示にかけている。
・一人でいるいないにかかわらず、楽しそうな人をすべてディスる
・自分がしない行動はすべて奇妙に見える。
こんなパターンが思い当たった。

もともと単独で行動している人たちはそれが好きかどうかを意識したこともない、ごく自然な行動なのだから。単独行動が苦手な人でも料理の買い出しは一人でするだろう、そのようなごく日常的な行動なのである。(中には買い物も一人でできない人もいるかもしれないが)
既婚者でも単独行動はする。むしろ家で一人になれないから、既婚者はあえて一人で出かける。家族の意思を尊重して興味のない分野なのに無理に連れて行くことはしない。それに、なんにでもイキる配偶者と同行するのはうっとうしいなど、様々な理由による。
そういうことを無意識のうちに判断したうえでの単独行動だが、実際はごくごく自然に行動している。息をするように。

一人で行動できない人は、見たいライブがある時や、美術館や博物館に行きたい時に、どうやって行くのだろう。無理やり興味がない人を誘うのだろうか。興味がない人との旅ほどつまらないものはないのに。せっかく好きなミュージシャンのライブやアーティストの展示に行っても、興味のない人は仕事の愚痴や悪口などを延々と繰り返す(これ経験あるけど地獄だった)。そんな話をしない常識的な友人であっても、趣味が合わなければ同じ話題で盛り上がることはできない。

あるいはSNSなどで同じ興味の人を探して一緒に行くのだろうか。SNSに登録して、タグなどで同じ興味がある人を見つけて、その人をフォローして、ある程度のやりとりをして人間性を確認して…。なんて手間がかかるのか。そんな時間があるなら、さっさと一人で行って楽しんでくればいいのに。
それでも一人で行くのはつまらない、寂しいと思う人は、色々な方法で誰かを誘っていくだろうし、その過程もまた楽しみであるのだろう。
行動パターンも人それぞれ、異なるのは当然である。いちいちディスることはない。

単独行動を笑われているだけならまだしも、悪いことのように責められる社会に、団体行動を強要する社会にならないとよいのだが。でもそんな社会は戦前の日本に似てはいないか。戦前回帰を目指す政治家の多い今の時代ではリアルに起こりうるから恐ろしい。